ヒトとのつながり

山川 祐輝私は現在、福島県伊達市にあります北福島医療センターにて回復期リハOTとして勤務し3年目を迎えました。入職当初は震災による病院の半壊、放射線量が高い状況で迎え、決して楽な環境で始められない状況でした。現在では安定をとり戻し日々患者様と向き合う日々を過ごしています。

さて、大学生活では勉強の中身が濃く、特に試験では友達と教えあいながらファミレスで勉強したことをよく覚えています。また、児童サークルでの活動により多くの子供達と触れ、縦横の繋がりも増え、その中で子供達の事を考え活動したことは今でも大切な経験です。多くの友達にも恵まれ、たくさんの思い出とともに充実した生活でしたし、現在でも学会や研修会で会うと元気をもらえている気がします。

そして、私の転機となった東日本大震災。私自身も被災者であり失い…先の見えない生活に恐怖さえ感じました。どうにか地元に戻り平和な街を眺め、自然と涙が止まらなかったことをよく思い出します。被災者となり支えて頂いた方々を思うと自分の無力さを感じ、始めたのが災害ボランティアでした。今度は避難者を精一杯支えようと地元でリーダーとなり当時800人を超える避難者の方々と向き合っていました。ボランティアをする上で何もなかった…そんな時やはり形となって現れたのは組織・チームを作るところからでした。統括することはこんなに難しいものなんだ…と改めて感じましたが、人と人のつながりをより強く、よりたくましい絆としていろんな方々と向き合う最高の機会でした。「ありがとう」「助かったよ」と頂く言葉はうれしいものです。

最後になりますが、私の作業療法士としての一番の幸せは、退院される時の患者様の笑顔や病棟に顔見せに来てくれることです。まだまだ「作業療法」とはと悩むことが多い日々ですが、患者様の笑顔や感謝されることが、更に自分を成長させてくれるものと信じています。